先代の新井好四郎結婚と共に煎餅製造業を大里郡明戸村に開始
大東亜戦争と共に企業合同を繰り返し遂に廃業、その後飛行機部品のオイルクーラーのパイプのプレス加工を開始
終戦を迎え廃業
埼玉県大里郡明戸村大字新井に工場を設立、戦争中の仕事に使った材料が残っていた為、これらを利用し台所用品を中心に家庭用品を製造
米菓製造を開始。労働力を補う為、本体を木製にした延し機を製造開発し、約30台の販売を手掛ける
小型米菓機械製作に着手すると共に、米菓製造に踏切る
米菓製造機械製作を有限会社新井製作所、埼玉県深谷市新井に資本金50万円で設立
米菓委託加工が許可され機械の大型化に取組む
深谷市大字西島に本社工場建設、有限会社新井機械製作所に組織変更
機械の大型化と共に品質向上を目途として、蒸練機と練機を一体にした蒸練々機とW練機を開発
従来の密閉された運行焼機と違い中釜方式にし焼き易く、品質向上を計ったコロナ焼機を発表
バンド乾燥機の試作に着手。従来の延し機を3台並べて6.5尺巾のバンドに連結させる
6.5尺巾のロールの延し機を完成。生地の乗移りにキャンバスを利用しアベックを防ぎ、現在のFBDを完成
FBDの要望が高まり深谷市国済寺に工場並びに事務所を建設移転
熊谷労働基準協会会長賞受賞
深谷市国済寺に工場及び事務所建設、移転
米菓業界に中小企業近代化促進法・中小企業近代化資金助成法が適用され、これが追い風となり、15年間で120セット業界と国外に輸出
株式会社新井機械製作所に組織変更
熊谷労働基準協会会長賞受賞
深谷市常盤町の土地購入、社宅建設
本社工場隣接地を購入
試作工場を建設
深谷市本田ケ谷に土地購入
深谷市大字沼尻の会社所有地に生地工場を建設、沼尻に移転
深谷市大字沼尻に工場並びに事務所を建設本社工場を移転
深谷市大字本田ケ谷に米菓工場と事務所を建設、米菓工場並びに米菓研究所を移転、新井製菓株式会社を設立
深谷市大字国済寺旧本社工場跡にボウリング場をオープン
本社工場隣接地購入
深谷市大字国済寺のボウリング場敷地内に洗車場を建設、オープン
本社工場運動場用地購入
新井製菓株式会社に本田ケ谷の建物、その他を売却
埼玉県児玉郡児玉町塩谷に三和を設立、精密プレス金型の設計・製作・販売開始
プレス製品受注増加に伴い自動プレス加工を開始
新潟県長岡市下々条に新潟工場を建設しサービスを兼ねた工場とする
本社工場及び事務所増設
資本金300万円で株式会社三和を設立
本社工場に塗装工場増設
ボウリング場の土地建物を株式会社新井に賃与
児玉郡久美塚に組立工場を建設、精密電気部品組立を開始
本社工場、鋼材倉庫建設
新井機械製作所精密機器事業部を設立
株式会社新井機械製作所が三和を買収、工場設備の再編成を実施して事業を再建
株式会社新井機械製作所精密機器事業部を設立し、事業開始
株式会社新井機械製作所本社工場に大型プレスラインを建設、家電製品をプレス加工開始
大型洗浄機を導入、プレス製品の脱脂洗浄工程拡大
児玉郡美里町に新工場を建設、塩谷工場及び本社プレス工場を移転して業務を統合化
NCワイヤーカット放電加工機をさらに一台導入、金型製作のスピード化推進
新棟3号を建設、資材倉庫と組立部門を整備
精密金型の設計製品、製作から部品加工、組立、プレス部品加工までの一貫生産体制を完成
鋼材加工設備導入により食品機械溶接組立開始
CAD/CAM導入
搬送用として、常温及び冷却での利用のみのチェーンレスに着目、乾燥或いは焼成に利用できる様に研究に着手
新井製菓株式会社を吸収合併
本社工場を増設
本社工場に塗装工場増設
資本金、3,000万円に増資
NCターレットパンチ、ワイヤーカット等、板金加工最新機械を導入、技術の向上を追求
300度以上高温に耐える事ができるチェーンレス用ネットを開発し、焼機、乾燥機の試作に踏切る、並びにチェーンレスのFBD利用に研究着手
大隈大型マシニングセンター導入
FANUC浸水式NCワイヤーカット導入
FBDチェーンレス、特許取得
滋賀県湖南市日枝町に土地購入。
滋賀県湖南市日枝町に滋賀工場を建設し、西日本地区のサービスを兼ねた工場とする
大型レーザー加工機導入(精度、即納を画る)
大型レーザー加工機並び大型シャーリングベンダー機導入
二代目社長 新井進二 代表取締役社長就任
新井製菓株式会社を分離独立
創立60周年式典
生産管理システム導入
業務システムの最適化を図る。(工程管理・原価管理及び在庫管理)
宮城県仙台市泉区に仙台営業所開設
CIM事業部発足
本社・新事務にて業務開始
開発棟稼働

2015年頃の本社工場、航空写真

読売新聞記事

日刊工業新聞記事

2002年6月 埼玉新聞記事

2003年10月 埼玉新聞記事